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2010年08月 アーカイブ

弔電とネットの歴史を知る 3

弔電 ネットなどを送る際に利用する便利な電報。


今回も、そんな電信の歴史です。


日本民主化のためには、封建色の濃厚な各種法令を全面的に改正さるべきとする連合軍総司部の指示により、憲法をはじめ各種法令を根本的に改めことになりました。


電信電話法令についても、この例外ではありませんでした。


早くも昭和21年、その改正指示を受けているのです。


しかしながら、そのころの電信電話は、敗戦後の混乱から抜け切らず、戦災の応急措置も十分でなく、従業員は生活の重圧にあえぎ、法令の大改正などは全く不可能な状態でした。


ここにおいて当局者は応急措置として、通信検閲その他新憲法に抵触する部分についてのみ改正し、根本的改正は後日において行うことに方針を決定。


総司令部当局と折衝にあたったのですが、これは一蹴され、早期全面改正を更に強く要請されたのです。


その後、関係当局者闇において再三再四、法案の検討を繰り返し、総司令部の意向も打診したのですが、両者の考え方に著しいへだたりがあって、容易に結論に達することができません。


更にその後も幾多の迂余曲折を経て、実際に根本的改正が行われるに至ったのは、公社移行後の昭和28年7月、有線電気通信法・公衆電気通信法及び同上施行令公布によってでした。


この2法律の制定によって電信法・無線電信法・電信電話線建設条例等の旧法令は、当然に廃止されました。


しかし、またこれらの法律に基いて制定されていた電話規則・電報規則等の改正を促し、新たに電信電話営業規則の誕生(昭和28年8月)をみるに至ったのです。

弔電とネットの歴史を知る 4

弔電を送ることができる電報。


それを申し込むことができるネット。


そんな便利な弔電 ネットの元祖、電信の歴史です。


昭和20年8月15日、第二次世界大戦の終結により、電信電話事業は再び文化の先駆としての活動が開始されました。


しかしながら、再起するには通信施設の受けた打撃は余りにも大きく、敗戦の事実を前に底知れぬ虚脱感におそわれていた全従業員を、呆然自失せしむるに十分なものがありました。


終戦時において、当局に残された回線はわずか380回線、1日の電報取扱通数は13万通(これは前年に比較して約5割の減少)というさんさんたるものでした。


回線の減少は敗戦による領土の喪失が一部の理由をなしていますが、大部分は戦災によるものです。


しかしながら、かすかながらも当局に一条の光明を与えたものは、局舎の健在でした。


しかもこのことはひとり当局にとどまらず、電信事業再建に最大の幸運であったといわねばなりません。


再建の第一歩は、連合軍の要請に基く通信の確保に始まりました。


20年8月23日、連合軍の日本進駐に伴う東京・厚木線の新設を初めとして、以後次々と連合軍司令部あるいはキャンプなどへの分室と回線が設置されました。


しかも一方においては、8月22日、戦時特例(電報取扱制限)の一部解除、10月20日、対米無線の開始12月11日、戦時特例の全面解除等と業務は次々に平時体制に切換えられていきました。


しかし、回線・機器の故障あるいは不良、更には要員事情の混迷などが折重って、最悪の事態を現出していきます。


このような事態を収拾するために「東京中電再建協議会」を設置(昭和20年12月4日)し、事態収拾に対応したのですが、当時の逼迫した情勢下にあっては、予期した成果を得るに至らなかったばかりでなく、更に苛酷な事態を招来していきます。


21年6月18日には、"業務運行難救済に関する件"として、職員に協力を促す通達が出されています。

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