弔電とネットの歴史を知る 3
弔電 ネットなどを送る際に利用する便利な電報。
今回も、そんな電信の歴史です。
日本民主化のためには、封建色の濃厚な各種法令を全面的に改正さるべきとする連合軍総司部の指示により、憲法をはじめ各種法令を根本的に改めことになりました。
電信電話法令についても、この例外ではありませんでした。
早くも昭和21年、その改正指示を受けているのです。
しかしながら、そのころの電信電話は、敗戦後の混乱から抜け切らず、戦災の応急措置も十分でなく、従業員は生活の重圧にあえぎ、法令の大改正などは全く不可能な状態でした。
ここにおいて当局者は応急措置として、通信検閲その他新憲法に抵触する部分についてのみ改正し、根本的改正は後日において行うことに方針を決定。
総司令部当局と折衝にあたったのですが、これは一蹴され、早期全面改正を更に強く要請されたのです。
その後、関係当局者闇において再三再四、法案の検討を繰り返し、総司令部の意向も打診したのですが、両者の考え方に著しいへだたりがあって、容易に結論に達することができません。
更にその後も幾多の迂余曲折を経て、実際に根本的改正が行われるに至ったのは、公社移行後の昭和28年7月、有線電気通信法・公衆電気通信法及び同上施行令公布によってでした。
この2法律の制定によって電信法・無線電信法・電信電話線建設条例等の旧法令は、当然に廃止されました。
しかし、またこれらの法律に基いて制定されていた電話規則・電報規則等の改正を促し、新たに電信電話営業規則の誕生(昭和28年8月)をみるに至ったのです。